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*ガリオア資金(占領地域救済政府資金)
対日援助額は、1946年度から1951年度までの累計で16億ドル弱。
日本向けには「家畜の飼料」用であった「脱脂粉乳」「雑穀類」を食料として送った。
*エロア資金 (占領地域経済復興資金)
援助総額は、ガリオア資金と合わせて18億ドル以上援助開始時には無償とされたが、1948年01月、アメリカは突如として日本に対し返済を要求。日本は反発し、1954年以来、日米間で交渉が行われ、7年後の1961年06月、返済額4億9000万ドル、返済期間15年、年利2.5%の条件で妥協案が成立。翌1962年01月09日、外相小坂善太郎と駐日大使エドウィン・O・ライシャワーとの間で返済協定が調印された。債務は、1973年に前倒しで完済。
戦後、増産を続けていたアメリカの余剰農産物のはけ口として日本は標的になった。家畜の飼料の飼料用の小麦や脱脂粉乳を「善意」による無償の食料供給という形で、学校給食などに供給した(ララ、ユニセフ、ガリオア資金など)。しかし、1950年代になると、アメリカは余剰農産物を将来にわたって売り込めるように策謀し、 1951年サンフランシスコ講和条約締結により日本は形のうえで独立国となると同時にガリオア資金援助を打ち切り、1954年にアメリカは余剰農産物処理法(農業貿易促進援助法)を成立させた。パンと脱脂粉乳を使った学校給食を食べた子供たちが大人になったとき、パンを食べることが当たり前にする習慣性を狙ったものである。パンを食べれば、副食は牛乳製品・卵製品・肉製品となり、それらの畜産物を飼育するための飼料であるトウモロコシや大豆(これもアメリカ余剰農産物)なども同時に輸入せざるを得なくなる図式である。
戦後、「栄養改善運動」の一環として、アメリカの資金から捻出された、「キッチンカー」が全国を走り回った。「キッチンカー」は野外で、小麦粉、乳製品、油、肉、ソーセージ、卵などを素材とした料理講習会を行い、一般市民には日本政府の事業を装い、その実、アメリカはキッチンカーで教える料理に小麦と大豆(大豆油)を使う条件を付けた。西洋の栄養学をもてはやした栄養学者や医学者は、日本の伝統的な食事を低く評価し、「パン食の文化を持つ人々は進歩的、積極的なのに対して、米食の人々は諦観的、消極的」とか、米を食べるとバカになるという「米食低脳論」まで横行した。パン作り講習会などが全国で行われ、マスゴミがこの音頭取りを行った。この資金もアメリカの資金から拠出したものである。
戦後の「栄養改善運動」とパンと牛乳の学校給食、日本人の間違った日本食に対する評価によって、日本人の食事は伝統的な、ご飯、味噌汁、漬物、野菜の煮物中心の食事から、一気に、パン、牛乳、卵、肉、油といったアメリカ余剰農産物消費の洋風の食事に傾いてしまった。その結果、アレルギーや成人病(生活習慣病)を引き起し、国民の健康を害し、あるいは死に至らしめ、生命線である食料までもアメリカに握られている、食料面でも属国の状態にある。
ガリオア・エロア資金と、こういう国辱的な占領下から現在までの歴史が隠蔽され、2・1ゼネスト近辺の一連の謀略事件とか塗りつぶされている。
呆れた事に、ガリオア・エロア資金の返済交渉に先人が苦心惨憺したはずの、外務省のサイトに次のようなバカ話が掲載されている。
見出しだけで内容がわかるので駄文は掲載しない。日本人はアメリカ、世銀にユニセフに感謝して、ODAに国際貢献という名のアメリカの尖兵にならなくてはならないという自虐的に洗脳するためのサイトで、事実を半面も伝えていない。
アメリカが日本やドイツを援助したのは、東西冷戦あるいは朝鮮戦争なども起っている状況で、共産圏に対する防波堤として、国情を安定させるためのものであった。「ユニセフさん、ありがとう」に至っては、あまりも低劣な煽動で、笑うべきであろうか。
>第二話 戦後の灰燼からの脱却
>その1 ガリオア・エロア資金なかりせば
>その2 世界銀行への恩返し
>その3 国際NGOからの大きな贈物
>その4 「ユニセフ」さん有難う
>その5 太平洋を渡った留学生
一番下のフルブライトに至っては、前国連事務次長の明石康、作家の小田実、ノーベル医学・生理学賞を受賞した利根川進、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊、フォトジャーナリストの吉田ルイ子と、どう見ても、明治維新期の国費留学生と比較して、遙かに劣る面々であり、そのほとんどが「アメリカ被れ」であり、「アメリカン・スクール」というべきであろうか、日本の文化の破壊に手を尽くした被洗脳者の売国奴といって差し支えがない。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/hanashi/story/1_2.html
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